明石家さんまから学ぶ「困難を最高の笑顔に変える」8つのヒント
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いつも笑いを作り出すさんまさんには、彼らしいポジティブに生きる哲学が隠されているよう。一見ポジティブ過ぎるとも思われがちな名言の裏側には、人生を笑顔で過ごすための大切なヒントが隠されている事がわかります。彼の意外と知られていないバックグラウンドとあわせてご紹介します。
多くのヒット番組の司会を担当
現在は司会者としてのイメージが強いさんまさんですが、実は落語家から業界をスタートしています。そしてそのトーク力がマネージャーの目にとまり、バラエティ番組に出演するようになりました。
ほとんどが長寿番組として高い人気を維持し続けている
好感度ランキングでも、常にトップの人気を誇っています
1985年に男性1位に選ばれてからは、2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回で男性1位を獲得
明石家さんま。 この人が大好きだ。 クリエイター気質とかも出さないし、イヤらしいプロデュースとかもやらないし。派閥とか持ってなさそうだし。そりゃ好感度高いよなーと思う。 本当に「笑い」をずーーっとやってる感じがする。この人が亡くなったら、悲しいなぁ。
— ゆう (@koga821322) March 25, 2011
あまり知られていない生い立ちから下積み時代
“左腕の傷は母との唯一の思い出”
明石家さんまさんの左腕には傷跡が残っています。原因は、3歳の頃に飼っていた仲良しの飼い犬。珍しく噛まれたその日は、なんと母親のお葬式の日でした。
実の母親の顔を覚えていないと言うさんまは「母の思い出これだけやねん」と語りながら腕の傷を指さした。
高校3年生で落語の世界の門を叩く
その後、高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入りし、丸刈りに。
「初舞台では緊張で頭が真っ白になって、ネタをやり直した」
ステージにはさんまさん1人。観客も1人というマンツーマンの状況・・・。しかもその客はさんまさんの兄(泣)。ほとんど家族会議のような雰囲気だったそうですが、お兄さんはゲラゲラ笑って見ていたのだそうです。
初のテレビ出演でウケをとったものの、礼儀がなってないとCM中に叱責されたこともありました。
しかしさんまさんは失敗しながらも挑戦し続け、トーク技術を磨いていきました。
次第に名前と顔が売れ、お茶の間のスターになるも、弟の死を週刊誌に心ない言葉で書かれるなどの辛い日々も、笑顔で乗り越えました。
「満点は星空だけで十分」前向きに生きるための名言
お茶の間のスターであり続けるさんまさんが語った、落ち込んだ時に背中をおしてくれる名言をご紹介します。
- 生きてるだけで丸儲け。
- いっぺん夢中で生きてみい。毎日が夢中や。
- 満点は星空だけで十分や。(成績が伸び悩んでいる小学生に)
- 落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。
- やさしさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている。
- 凡人が努力したかて、その努力に敬意は表するとしても、勝ち負けは『努力』の要素だけで左右されるほど甘いもんやない思うんですわ。特に超一流の世界ではね。
- 俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて 幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や
- 追いつめられた時には追いつめられた時なりのギャグいうもんがあるんですわ。人間、どんなに沈んでいても笑うんです。葬式の日でも絶対笑えるんですわ。こら凄いことですよ!でも本当!
さんまさんの顔を思い出そうとすると、笑顔ばかりが思い浮かびます。いつも人を楽しませてくれる裏には、彼なりにポジティブに生きる哲学があるんですね。
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